――映画初出演で初主演です。オファーを聞いたときは?
あるワークショップを受けていて、全然できなくて落ち込んでいたんです。マネージャーさんにも怒られるだろうなと思っていたのに、あんまり気にしていなくて。なんでかなと思っていたら、「映画の話が来ているよ。ラオス語で話さなきゃいけないから、必死にやってね」と言われて。落ち込んでいたのが、急にギュワーンとテンションが上がってすぐに脚本を読みました。
――しかも本編ではほぼラオス語です。
そうなんです。ただ最初に聞いた時点では、ほぼラオス語だというのは知らなくて、脚本を読んでいたら、「以下すべてラオス語とする」と1行書かれてたんです(苦笑)。そこから、講師の方にラオス語を習って、クランクインのひと月ほど前にはラオスに入って現地でも言葉を学びました。それから、今回は1960年にラオスに行って、ダムを作った日本人の方がモデルなので、実際に当時、そうしたことをされていた方々からもお話しを伺いました。今にして思うと、とてもじっくりと役作りをさせていただいたんだなと思います。
――挨拶程度のラオス語はマスターできましたか?
簡単なコミュニケーションは取れるようになりました。もちろん通訳の方もいますが、手一杯なので、熊澤誓人監督のおっしゃったことを、現地の役者の人たちに伝えたりといったこともしていました。
――川井はどんな青年だと感じましたか?
最初に脚本を読んだときから、僕自身に近いかなと思ったんです。監督もそう感じたからオファーしてくださったとおっしゃっていました。それに、ダムを建設するという強い気持ちだけを持ってラオスに行った川井の気持ちと、役者という世界に身を投げてこれからやっていこうとしている自分もシンクロしたので、違和感なく入れました。
――撮影は順撮りだったのでしょうか?
結構バラバラだったので、難しかったです。ラストシーンは最後のほうで撮れましたが、ほかは、いきなり今日はこのシーンをやるという感じだったので、何回も脚本を読み直して、そのときの気持ちを作るようにしていました。
――特に印象深かったシーンを教えてください。
大変だったという意味では、村の人たちにダムの意義を説明するシーンです。撮り始めたのが夕暮れ時で、僕向けで撮影するショットは後ろに空が映るので、時間的にいくつもカットを割るわけにはいかなかったんです。だからかなりの長いセリフを、一発撮りの長回しで撮ると言われて。すごい緊張感でした。でもそのときの集中力というのは、自分でも不思議なくらいのものでした。やれたときには、すごく気持ちよかったです。
――観客の方には、どんなところを観てほしいですか?
まずは、ラオスという国はまだまだ知られていないので、今回の映画によってラオスという国を知ってもらえたらなと思います。こんなキレイなところなんだとか、こんな人たちがいるんだ、行ってみたいなと思ってもらえたらいいなと。
内容について川井を通して言うと、若い青年が初めての仕事で知らない土地にいって、ワクワクする気持ちは持っているんだけど、本当の意味での仕事の意味はまだ分かっていなかったものが、そこにいる人たちに出会ったことで、自分に向き合って、答えを見つけ出して、さらにその答えを言葉にしていく。そうすることでそれがほかの人に伝わって、ほかの人の考えにも影響していく。
その根本にあるのは、やっぱり川井のまっすぐな気持ちだと思うんです。そうしたことをこの映画を観たことで、自分の中にも感じて、明日からもっといいことが起こっていくんじゃないかと思ってもらえたら嬉しいです。
――普通に社会人として就職したのちに、やっぱり俳優になる夢が捨てられなくて、東宝芸能のオーディションに応募されたとか。
はい。役者をやるには事務所に入らなきゃと思って、そうした活動をはじめたとき、一番近い上司や同僚、家族にはあらかじめ話していました。ありがたかったのは、やめておけと言った人がひとりもいなかったことです。「お前はそっちのほうがいいんちゃうか」とか「頑張れ」と言ってくれる人ばかりでした。だから自由に活動できて、この事務所を受けることもできたんです。
――オーディションを受けた際に、気を付けたことはなんですか?
僕の場合でいうと、書類が月末締切だったのが、27日くらいに送ったんです。そしたら届いてすぐに連絡をいただいて、採用担当に関わっている方から、明日たまたま大阪に行くから夜に会って二次面接をして、そこでよかったら東京の事務所に呼ぶと言われたんです。でも僕、実は1回断っていて。次の日が営業会議で、会議のあとは絶対に飲み会があるから、いかないのはまずいなと思って。そしたらこの機会を逃すのはおかしいと強く言ってもらったんです。確かにそうですよね。それで、会議が終わったあと、みんな飲み会に行くのを断って面接に行ったんです。あの時、飲み会を優先していたら今はなかったです。
――面接で緊張はしませんでしたか?
そのときに担当してくださった方の話を後から聞いたら、会議の後だったし、僕すごく疲れていたらしくて。その疲れている感じがよかったらしいです(苦笑)。面接のために、めっちゃ気合い入れてます!っていうのじゃなくて素の感じが出ていて、そこに惹かれる部分があったと。確かに自分を繕う余裕もなかったので、それが逆によかったのかなと。
――もともと役者を目指したきっかけは何だったのでしょうか。
それこそ幼稚園のころから、劇とかには絶対に出ていました。出ないという選択肢はなくて。だから基本的に好きだったんだと思います。中学、高校は普通にスポーツの部活に入っていましたが、文化祭の劇には絶対に出てましたし。ただそれを生業にしている人が僕の周りにはいなかったので、現実的にそこへ進むというところに考えが及びませんでした。でも、モデルをしていたころ、ある映画のオーディションを受けて、自分は落ちて、知り合いのモデルの人が受かって役者の道を歩み始めた。自分と近い場所にいたはずの人が、そうなっていくのを見ていて、どうして自分はその可能性にもっと賭けなかったんだろうと。そして挑戦しようと思ったんです。
――今回、映画初主演も果たしました。どんな役者になっていきたいですか?
憧れの人は堺雅人さんです。堺さんの書かれている本を読んだり、お芝居を観たときに、とても論理的で、感覚だけでなく頭で理解しながら、でも表現としておもしろいことをされている方で、憧れるようになりました。ただかっこいいというよりも、おもしろいときもあれば、すごくかっこいいときもある、つかめない感じでいられたらなと。
――クラスで女の子にキャーキャー言われたりは?
全然。おもしろいことをいうヤツの傍にいて、いじられるヤツでした。
――そういう意味では、dヒッツのCMは、かっこいいけど、ちょっと...という。
そう。ダメなヤツでしょ(笑)。傘とか渡してる時点でボロボロですから。結構抜けていたり、3枚目的な役をいただけていて、おもしろいと思ってもらえているので、そういう自分をやっと肯定できた気がしています。ただもちろん、ほかにもいろいろやりたいです。時代劇にも興味がありますし、役柄で言ったら、すごい笑顔が怖くて狂気を秘めた役なんかもすごく惹かれるし。やりたいことはいっぱいあります。
――夢を諦めずに動いてみてよかったと思いますか?
思います。そのままの人生を続けていて得られたものが、どれだけのものかは分からないですが、夢に向かったことで、井上雄太という個人に向き合えて、僕というものを世界に生かせるようになっていっていると感じます。
――芸能界を目指している人にメッセージをお願いします。
役者を始めた僕の立場から言えるのは、お芝居が好きな人であれば、この世界は本当に楽しいと思います。周りの人が応援してくれないとか、自分にできるのだろうかという不安がある人もいると思いますが、とにかく踏み出してみて、それでもやっぱり芝居が好きだという気持ちが死なないのであれば、絶対に挑戦するべきだと思います。そして何より、自分を隠さないほうがいいと思います。
Photo/吉井明 Text/望月ふみ